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年頭に思う中高年の「務め」

新しい年を迎えたと思ったら、早や1月も末になってしまいました。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という一休さんの歌が浮かびますが、子供の頃と違って「もういくつ寝るとお正月~♪」と単純には喜べなくなって久しい年末年始ではあります。

 

毎日新聞の近藤勝重さんは自分のことではなく、この国の先々のことや次世代を担う若い世代のことを考えると、「おめでとう」という言葉がためらわれる…とコラムに書いていました。国の財政難などの前途を思い、むしろ「お気の毒に」という気持ちになるというのです。

確かに「三丁目の夕日」世代の青春時代と違って、今の若い人たちは夢の持てない世代だ・・とはよく言われます。でも、私は「青春時代」なんてものはいつの時代も、実は苦しい中にあるのではないかと考えていました。

昔大ヒットした歌にありましたね「♪青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり」「♪青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり」…阿久 悠らしいいい作詞です。そのとおりだと思っていたものです。

 

しかし、それでも、青春時代を「あとからほのぼの」思えるようになる中高年のトシごろでの悩みや不安は、また質の違うもので、それはやはりその年頃になってみないと本当にはわからないものではありますね。

ただ、中高年になってからの憂いというのは、上の近藤勝重さんのように、自分のことだけではなく、周りや社会が見えてきますから、それら全般に渡ってくるのも自然なことのように思います。むしろそれが中高年者の「務め」のようにも思うのです。

 

昨年末に、はっきりしないお金の問題を追及されて猪瀬東京都知事が辞めざるを得なくなって、2/9投票日の、今は都知事選真っ最中です。

突然のように見える細川護煕 元総理大臣の立候補に、同じく元首相の小泉純一郎さんが全面的に応援するという、史上稀にみる立候補者絵図になりました。

元首相で70代の高齢の二人が一体となっての決意表明に「殿ご乱心」と揶揄するような向きもあり、「原発」は東京都の政治の争点にはふさわしくないとの議論がありますね。

 でも、それを争点にされては困る人たちがそう言っているようにも思われ、他の一国の人口より、経済力より大きく、日本の最大の電力消費都市である東京が、日本のみならず全人類史に責任を持っていることは明らかではないか、とも思われます。


あの3.11から今年は丸3年を迎えますが、まだまだ福島の原発の解決には気の遠くなるような年月と智慧と人力が必要なようです。いまだに流浪の民のようになった福島の人たちが多勢いるというのに、私たちはこの重い課題を考え続けることを止めようとしてはいないでしょうか?

現代人の経済力を保つために、いまだ後始末のできないものを後世の人たちに託す、というより無責任に投げ捨てて行くことになりはしないのでしょうか?

一方で、原発を停めてどんな生活が待っているのか? 一時的にせよ今の私たちの生活レベルを下げて、暗い寒い生活をする覚悟はあるのか? などと自身に問い直してみると、たしかにそんなに簡単に答えの出せる問題ではありません。

 

しかし、この難問に即答はできなくても、今自分にできることから実践している人がいらっしゃいます。
当 東京パソコンスクールの生徒さんで、あれからずうっと福島から物を買い続ける契約をして、今もコツコツと実行していらっしゃいます。とてもご高齢のこの生徒さんを、私が心から尊敬していることは言うまでもありません。気持ちはあってもなかなか実行できることではありませんから。3年めの今年は、この生徒さんを見習って私ももう1つ何かをしよう、と思い決めています。

 

知事選の話にもどると、事の正否は別にしても、もう何年も生臭い政治の世界から遠く離れていた二人だからこそ、自分の権力欲のためにではなく後世の日本のために、人類のために、最後にこれだけはやっておかなくては死んでも後悔する、と決心したのかもしれません?
実際には今のところ当選は難しいといわれ、「晩節を汚す」などとも言われているようですが、この人たちはそんなふうに言われるトシにもめげず、自らの理想に立ち上がったその精神の若さには、あの高齢のチャレンジャー 三浦雄一郎さんにも似た様な気概を感じる、といえばおかしいでしょうか? 残りの生命(いのち)を賭してチャレンジするという意味では、どちらが良い悪いとは言えません。

 

ところで今年初の明るいビッグニュースで、これぞ本当の”新人類”というような「リケジョ」(理系女子)が現れましたね! これからの日本の女子力を象徴するような快挙です。

iPS細胞を超えるという万能細胞STAPの作製に成功したという、30歳の若い彼女は、おしゃれにも周りにも気を遣い、おばあちゃんのかっぽう着を大事に着て、(もうダメだと)泣き明かしたことが何夜もあったけれど、でも「決定的にピンチだというときに助けてくれる人が居たから(やり遂げられた)」とコメントしていました。

 

私は特にこの最後のフレーズに感じ入りました。人一倍努力家で負けん気でかつ執念の人で、妥協しない人だとも評されていましたが、協調性のない孤立した人ではなく、周りに愛される人だという証しだと思ったからです。

彼女が中学生時代に書いて入賞したという立派な読書感想文では、夢と現実と大人になるということ、生命ということについて、すでにとても深く考えていて、今の彼女の核を作ってきた大事なものを感じました。

 

年頭の書き込みとしては、当初意図したものと違ってしまいとりとめのないものになってしまいました。それはまたにするとして、とりあえず、小保方さんのような女子力に乾杯して期待したいと思います。

昨今、四字熟語が分からない人たちが増えたからといって、実は日本の若者のことはあまり案じることはないのかもしれませんね(?)。

 

もうすぐ若者の祭典でもある、ソチ五輪が始まります。やはり若い人たちの躍動する姿は美しいですから、今から楽しみです!
  matuyon

年頭に思う中高年の「務め」_d0076971_16565479.jpg

             野口英世に因んだフラスコ型の福島の地酒…実際は下の
           丸い部分はもっと大きいのですが…

by mitakamusasino | 2014-01-31 17:38 | 三鷹校  

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